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今さらですが、自己紹介とか諸々。

スタッフ加藤です。
タイトルのとおり、自分の事でも書いてみようと思います。

とりあえず、顔出しが嫌なので、自画像を描いてみました。
今後、加藤の姿は以下のようにさせていただきます。

何から話しますかね…まぁこういう時はまず歳ですよね、1969年、昭和44年9月生まれ、今年で55になります。
最終学歴は高校中退ですね、みんな存分に学歴マウントをとるがいいさ。
あ、中学の時は卓球部でした。

職歴は…20歳くらいにマンガ家になろうと思いまして(そのずっと前からなりたいとは思ってたんですが)、東京に出ました。
10年くらいマンガ家のアシスタントをしながら、マンガを描いたり描かなかったりしてました。
この頃からテキトーだったんですね。
当時のマンガ家のアシスタントという職業は、超ブラックでした(マンガ家さんにもよりましたが)。
超安い賃金でろくに睡眠もとらず、風呂にも入らず、自宅に帰るのは月に1回程度で、あとは泊まり込みでひたすらインクにまみれて絵を描いてました。
その頃のどーでもいいエピソードで、仕事から久しぶりに帰宅、風呂に入ろうとしたところ、脱いだ靴下が足の形を保ったまま立ったという…怖いですね、まぁ汗と垢で固まってたんですが(不衛生な話でごめんなさい)。
で、10年かかってわかったことは
「あ、オレ、別にマンガ描くのそんなに好きじゃないわ」ってことでした。
ある日、なんかもうそれまで必死にしがみついていた何もかもが馬鹿らしくなり、いきなり米屋で配送の仕事を始めました。
それまではペン以上に重いものを持つことがない生活だったため、最初の半年くらいは地獄でした。
それでもまぁまぁ給料がよかったので根性で続けていると、120キロ(2俵)くらいは楽に肩にかついで持ち上げられるようになってました。
その後は運送屋で酒を運びました。
これも慣れると瓶ビール3ケースくらい持って階段の昇降とかできるようになります。
アシスタント時代が嘘のようです。
で、結局配送の仕事も計10年くらいやってたんですが。
最後の最後でやらかしました。

冷凍食品を運ぶ仕事をしていたのですが。
2011年の暑い盛りのある日。
加藤はアイスクリームをトラックの荷台から冷凍庫(人が出入りできる大きいやつ)へと手運びしていました。

冷凍庫内での作業中、いきなり頭の中で爆発が起こり、その場で倒れました。
この時の事は割と鮮明に覚えていて「あぁ、これはいかんヤツだ」と直感でわかりました。
温度差による急激な血圧の上下で、脳の血管が切れたらしいです。
どのくらいぶっ倒れてたのかはわかりませんが、幸いにも凍×する前に発見されて、そのまま救急車で病院へ。
10日ほど意識がなかったようです。
目覚めて顔をなでた時
「あれ、ピアスがねぇ」
最初に気づいたのがそれでした。
当時加藤の顔面には10個近くピアスがぶら下がっておりまして、こんな感じでした。
通報しないでください、別に悪いことはしてません、本当です信じてください。

MRIにぶち込まれる際に外されたようです(金属NGなので)。
そのあとやっと、右半身が思うように動かないのに気付いたという。
後はもう一人ではどうにもならず、地元の病院に転院、リハビリ生活がはじまりました。

病院は、リハビリしてる時以外はとにかく退屈でした。
基本、加藤は遊ぶために生きているような人間ですので、遊びに飢えていました。
病院にギターを持ってきてもらったり(思うように弾けなくなっていてちょっと、いや、かなりがっかりしましたが)。
粘土を差し入れしてもらって、拳大のデカいドクロを作って杖にくっつけてみたり(悪いことはしてません、右下にいるコッシーがかわいいですが、NHKに怒られるかもしれないので目は隠しておきます)。

病院に出入りしていた理美容師さんにお願いしてリアルモヒカンにしてもらったり(悪いことはしてません、写真はないです)。
ちょっとどうかしてる入院患者ではありました。
極めつけが、たばこ吸いたさに足引きずって病院を脱走、近くのコンビニまで行ったり(これは悪いことですね)。
この時はめちゃくちゃ怒られました。
本来なら強制退院ものだったそうです。
みんなマネしちゃダメですよ。
ちなみにたばこは今の職場に入る際にスッパリやめました。

退院後は、まぁ当然それまでのように重いものを持つ仕事はできません。
でも遊ぶ金は欲しい。
もうとにかくこれに尽きました。
それで、何かできることはないかな、と考えていた時に、就労移行支援なるものの存在を知りまして(就労移行支援が気になったらみなともワークス!→https://minatomo.net/service/#minatomoworks-2)。
そこ(加藤が行っていたのはみなともワークスではありませんでしたが)でパソコンの基礎とWord、Excel、Illustrator、Photoshopなどのアプリケーションの基本操作、HTML、PHPなど一部プログラミング言語の基礎を習得。
で、これまた早期就職手当(雑に言うと、失業後にとにかく早く就職が決まるともらえるお金。もらうには色々条件があります。くわしくは「早期就職手当」でググってね)目当てにガンガン面接を受けまくりました。
ちなみに最初の1社目の面接の時点で加藤はまだモヒカンでしたが、面接官に「ユニークな髪型だねぇ」と言われ、その時はじめてモヒカンが世間的にはNGな髪型なのに気づきました。

なお、この頃に「カタマヒワークス」の母体である「みなとも」のデイサービス(https://minatomo.net/service/#dayservice)の利用を始めています
まさかその後そこで働くことになるとは思いもしていませんでしたが。

とりあえず髪を坊主にして、就活をガリガリ続けました。
最初にA型作業所に就職、経験ゼロで事務。
その後一般企業に転職し、そこも事務で応募、入社したのですが、なぜかCADを習得。
さらにその後、今の会社から声をかけていただき現在に至る、です。

…書き始める前は、自分と同じような中途障害者の方の何か参考になったらいいな、とかなんとなく考えてたんですが、我が事ながらメチャクチャですね。
なんかもうすみません。

あぁ、じゃあ最後にちょっといいこと風な事を書いときますかね。
障害者でも50歳越えても新しく何か始めることはできるし、転職も不可能じゃないです。
運は絶対に必要ですが、チャンスが巡ってきた時にはできるだけ取りこぼさず回収しましょう。
加藤の場合、病後に身に着けたスキルのほとんどは、誰かに「ちょっとやってみない?」と言われたことを片っ端からトライした結果習得したものです。
「やったことないから」と断ると次がないので(まぁ、引き受ける時は単に「面白そうだから」請けるんですが、逆にやりたくないことは絶対請けないという笑)。
そもそも「ちょっとやってみない?」と言った方は別に期待してないので、失敗してもノーリスクです。
気楽に請け負いましょう。
あとはですねー。
世の中には思ったより「いい人」でいたい方が多くて、それ自体は別にいいんですが。
もうちょっと我儘になっても大丈夫だと思います。
どうせ生きてりゃ誰かに迷惑はかけるわけですし、この世は皆さん同様「いい人」だらけなので、法に触れるような事をしない限り結構許してもらえます。
ただ、病院の脱走だけはやめましょうね。
いや、マジで。